NOVEL

2nd diffusion
―Without ambition, you will never be strong―

誰にも気付かれなかった私を、ユウは見付けてくれた。
それだけなのに……。
それだけのコトが、何故だかすごく引っ掛かって
捜さずには、いられなかった。

「私……ユウを――あの子を捜したい……!!」

∞ ∞ ∞

「このままではらちが明きませんね。効率を上げるために、手分けして捜すことにしましょう」

ディーの提案に、私は少し乱れ始めていた呼吸を整えながら、「うん」と頷いた。

「私はこの道を右に曲がります。アイはこのまま真っ直ぐ行ってください。頃合いを見て、再び合流しましょう」
「……わかった」

ディーの背を見送りながら、私は拳を握り締める。

……ひとりになるんだ。
少し心細いけど、やらなくちゃ。

ディーに言われた通り、私は目の前の道を真っ直ぐ進んだ。
ユウとの出会い、街の天変地異、空を泳ぐクジラ、そして、突然現れたり消えたりしていくたくさんの人達――
あれはいったい何なんだろう?
さっきの出来事を振り返ってみるけど、全くわからない。
だから私は、はっきりわかっている気持ちだけを自分の中でもう一度確かめてみる。
――ユウを捜したい。ユウに、会いたい。
私は走った。夢中で走った。
そうやって暫く走っていると、ふと気付いた。
周囲に見えていたナル達が、なんだか薄くなっている事に……。

(ディーと離れたから?)

そしてそれは、どんどん見えなくなっていき、結局みんな消えてしまった。

(…………変なの……)

気にはなったけど、そんなことよりユウを捜したかった。
そうしてまた暫く走っていると、唐突に人だかりが見えてくる。
ディーが近くにいるのか、それとも、ユウ……?
期待を交えながら人の群れに近付いてみる。
群れの中に、一人の少年がぽつりと突っ立っているのに気が付いた。
色素の薄い銀髪、少年らしい短パンにサスペンダースタイルの彼は、人混みの中で平然と行き交う人々を眺めていた。
何故こんなところに……?

「何やってるの?」

無駄だとわかっていながら声を掛けた。
私に気付く人なんていない。どうせ見えていないと思っていながら、声を掛けずにはいられなかった。何故だかは、わからないけれど……。

「……あれ? おねーさん、僕が見えるんだ?」
「――え!?」

予想外の展開だった。
まさか声が返ってくるなんて全然思わなかった。

「な……なん……で……?」
「ビックリした? 実は僕もビックリ! さっきからこの辺の人たちみ~んな、僕に気付かずにさっさと歩いて行っちゃうんだよね。それなのに――」

少年は、くりっとした大きな目を期待で輝かせて言った。

「おねーさんは、僕に気付いてくれた!」

銀色の髪をサラサラと揺らしながら、少年は無邪気に笑う。まだ10歳かそこらだろうと思われる少年は、ヘヘっと笑って私の両手を掴んだ。

「…………」

なんて言ったらいいのかわからない。唖然。戸惑い。未知との遭遇……。
結局、されるがままに子供に手を預けていたのだが、やがてはっとして「あなた、名前は!?」と尋ねた。

「……あれ~?」

少年は小首を傾げる。

「そーいえば、わかんないや。忘れちゃったみたい♪」

また屈託のない笑顔を向けてくる。

「自分が誰なのかわかんないケド……おねーさんもそんな感じでしょ?」

平然とそんなことを言うなんて、本当に意味不明。

「そう、だけど……何か思い出せないの?」
「え~? ――あッ……!」

少年は、一瞬顔を歪めると「いったぁ……」とわき腹に手を当てた。
「チクチクする~」と言いながら彼は着ていたシャツをまくって腹部をさらけ出す。

「あ~……この痣なんか、見たコトあるー」
「…………え?」

私は自分の耳を疑った。

***

少年の腹部には、アイと同じ「ナルの証」であるインフィニティをかたどる黒い痣が刻まれていた。これをまさか、「見たコトがある」だなんて、ナル歴の浅いアイにとっては信じられない事だった。

「あ、あなたいったい……!?」
「僕? 僕はねぇ、え~っと……チアキだよ♪」

少年は視線を横にずらし、少し考えた後でそう答えた。

「チアキ君?」
「そう、チアキって呼んでいいよ♪」

少年はまたあどけない顔をして、にっと笑った。
チアキの態度にますますアイは困惑した。

「おねーさんは?」

自分を見上げながら、チアキが興味津々の眼差しを向けてくる。おやつを待つ小犬のような表情だ。

「え、っと……」

アイは目の前の不思議な少年に唖然としてしまい、名乗ることさえままならない。

「ここでしたか、アイ!」

聞き慣れた声に振り返ると、アイはほっとした表情を浮かべた。

「ディー、よかった! ちょっと予想外のことが起きてて……」

と、アイがチアキに視線を向けると、今度はディーが唖然とした。

「……ッ!? ……チ、チアキッ……!?」
「え……知り、合い……?」

アイはチアキとディーを交互に見回した。
一歩後退りをして、眼鏡を触り、瞬きを繰り返すディー。
いつも冷静な彼がこんな風に驚くなんて珍しかった。
チアキを見て驚きを露わにするディーに対し、一方のチアキ本人はケロっとしていた。

「おじちゃん誰?」

チアキは目をパチパチさせている。嘘や冗談ではなく、本気で言っているようだった。

「わからないのか? 私のことが……?」
「うん。はじめまして……だよね?」

ディーは額に手を当て「参った」と言わんばかりにため息を吐いた。

「やはりそうですか……わかりました。アイ、今日は一旦戻りましょう」
「え? ユウはどうするの?」
「また改めて捜します。何より今は――」

と、ディーはちらりと視線をチアキに向けた。

「彼を私達の家に連れて行くのが先です」

∞ ∞ ∞

チアキを連れて家に戻ると、玄関に大きなサンダルが戻っていた。無造作に脱ぎ散らかされたそのサンダルを、ディーが丁寧に揃えながら言った。

「ジェイが帰ってきていますね」

妙だ。
いつもなら「まったく仕方ありませんね」、とか「靴は揃えて置けといつも言っているのに」、だの言いながら片付けるディーが、小言の一つも言わないなんて珍しいにも程がある。
アイはまじまじとディーの姿を見つめた。
それほどこのチアキの登場に動揺しているのだろうか……?

「ただいま」
「おかえりアイちゃん。ディーは一緒じゃないのかい?」

先にリビングに行くと、ジェイがロックグラスを片手に出迎えてくれた。

「今、手を洗ってるから」
「ああ、そっかそっかぁ。外から帰ったらまずは手洗いだよねぇ~」

既に呂律の怪しくなったジェイの口調で、アイは「またか」と思った。
ジェイは重度のアルコール依存症だ。
黙ってさえいれば、その色気のある流し目と厚めの唇、セミロングの黒髪から「妖艶ようえんな美青年」として高い評価を得そうなものを、酒に溺れることで全てを台無しにしている残念な男だ。
出逢ったばかりの頃は、アイも彼が好きではなかった。
何に於いてもある程度まではソツなくこなす癖に、目的を持とうとせず、一つのことに本気になろうともしない。そういう中途半端なジェイをいまいち虫が好かない男だと思っていた。
まあそれも最初のうちだけの話で、一緒に生活しているうちに、彼の人間臭さや、こう見えて本当は色々考えているということに気付き、段々と打ち解けていった。
この白い家の住人の中で、アイの次にナル歴が浅いのもジェイだった。だからか、他の住人に比べると、近い目線で話が出来るというのもあって、今ではすっかり‘良き話し相手’になっていた。

「また昼間から飲んでるし。やめればいいのに」

挨拶代りにそう言って、アイはジェイの前のソファに腰掛けた。

「あはは。それが出来れば苦労はしないんだけどね~」

軽い口調。他人事みたいにそう言ってジェイはロックグラスにまた酒を注いでいる。

「ただいま」

ディーがチアキを伴ってリビングに到着した。

「あ、おか…………」

「えり」と、言葉が続かなかった。ジェイはそのまま口をあんぐり開けたままディーとチアキを見つめた。
目をパチパチさせながら、注いでいたグラスがいっぱいになるのも気付かずに固まっている。

「ジェイ、零れてる!」
「え? ……あ、ごめんごめん」

アイの言葉に、ようやく我に返ったジェイが慌ててテーブルを拭く。

「………………いや、てゆーか、チアキちゃん!?」

ジェイが、思い出したようにディーの方を振り返った。

「……」

こくりと無言で頷くディー。その横で、チアキ本人は素知らぬ顔だ。
ジェイに対しても「はじめまして~」と言うチアキに、ジェイは「俺のこと忘れちゃったの?」と少し寂しそうな表情を浮かべた。

「ちょっと待って? 「忘れちゃった」って何?」

チアキに出会ってから、理解出来ないことばかりが続く。

「ディーもジェイもこの子のこと知ってるみたいだけど、この子誰なの? どーゆー関係なの?? どうしてこの子は痣のことや自分の名前がわかるの!?」

渦巻く疑問と戸惑いに、アイは思いの丈を一気にぶちまけた。
自分が知っているナルの特性とは明らかに違う。ディーとジェイの様子もおかしい。質問をぶつけずには、いられなかった。

「……いいでしょう」

ディーは眼鏡を掛け直してジェイに視線を送る。
するとジェイはそれを受けて「……うん。じゃあ、俺から話すよ」とロックグラスを遠ざけた。
その間にディーは、チアキをアイの隣に座らせ、自分はジェイの隣のソファに浅く腰を掛ける。

***

みんなが席についた頃、ジェイはゆっくりと話し始めた。

「チアキちゃんは、さ……実は前に…………拡散・・してるらしいんだよね」
「――は?」

随分間の抜けた声が出た。自分でもビックリする。

「まぁ実際、俺らも自分が誰なのかなんて本当はよくわかってないし、拡散の正確な仕組みだってわからないでしょ?」
「そりゃあ……」

口をつぐんだ私に、今度はディーが丁寧な口調で問い掛けてくる。

「あなたと初めて出会った時、あなたは拡散しかけていた。……覚えていますか?」

私は黙ってディーの目を見て頷いた。

「その時あなたの身体から出ていた黒い粒子が何なのかはわかりません。出会ってきた仲間には、記憶が無いことと身体のどこかに同じマークの痣を持つことだけが共通していることは知っていますね?」
「あのマークには、何の意味があるんだろうね?」

ジェイの問いかけに、ディーは黙り込んだ。
チアキはテーブルの下で丸くなっていた黒猫に夢中で、話し合いに参加する気はまったくないらしい。
「……そういえば」とディーが沈黙を破る。

「この痣は、時と共に大きくなるそうです」
「でもそれって、確認のしようがないじゃない? いつからココにいるのかも、実は、誰も何も覚えてないんだから。本当の意味で何かを思い出せている人間は、ナルにはいないんじゃないの?」と、ジェイがさながら心理カウンセラーのような見解を呟いた。

「あ、待って~!!」

突然、チアキがソファから飛び上がって猫を追い掛け始めた。

「チアキ君!」
「チアキちゃん!!」

ジェイと私が、ほぼ同時に声を上げた。

「どこ行くの! 待ってよ~!」

大人の話し合いにはまったく関心のないチアキだけど、猫の行く先には興味津々らしい。広いリビングを抜け、廊下へ向かう猫を夢中で追い掛けていった。

「チアキ、気を付けなさい!」

忠告するディーの声に耳も貸さず、チアキは猫を追って何処かへ行ってしまう。

「仕方ありませんね……」

諦めと呆れが混ざったような声で、ディーがため息をつきながら呟いた。

***

廊下に飛び出したチアキは、いつのまにか玄関までたどり着いていた。

「あれ~? 猫ドコ行ったぁ~?? ネコー! ねこー!?」

玄関マットをひっくり返したり、シューズラックを動かしたりしながら、チアキは猫をひたすら探す。
あっちこっち探しているうちに、玄関の外から足音がコツコツと近付いて来た。
そうして間もなく――
ガチャリと玄関の扉が開いた。
この家の主のご帰還だ。

「あ……」

チアキは見上げて尻餅をついた。

「……あー……」

家主は見下げて頭を抱える。
そして。

「…………あー………………おかえり、…………って、言ってもわかんねぇか…………」

後頭部を掻きながら、レイジは低い声で呟いた。更に「ちっ……」と小さく舌打ちを残す。

「……っ…………!?」

それを見たチアキは、肩をビクつかせて一瞬にして青ざめた。
猫に夢中になっていたチアキの目の前に突然現れたのは、両腕いっぱいに刺青を施し、赤い短髪でいかつい服を着た、怖そうなおじさん……いや、お兄さん……。しかも怒っている……少なくとも、チアキの目にはそう映った。
ダダダ、と玄関ホールから大きな足音が聞こえて、アイ達は振り向いた。
鬼ごっこでもしているみたいに、チアキが慌ててこっちへ走って戻ってきたのだ。
すぐに‘鬼’はリビングにも現れた。

「レイジ……お、おかえりなさい」

帰ってきてしまいましたか、とでも言わんばかりの顔でディーは額に手をあてた。

「あー……うん。ただいま。……で、これ、どーゆーこと?」

気まずそうに迎えたディーに、レイジは状況の説明を求めた。

***

「あー……なるほどね。まぁ、だいたいわかったわ」

街へ出て、たくさんのナルの出現があったこと、「U――ユウ」という少女に出くわしたこと、彼女がいなくなってしまったこと、そして「彼女を捜したい、また会いたい」という私の気持ちが強いこと、そうして手分けして捜している最中にチアキに出会ったこと。ディーは先生のように丁寧な説明で、全てをレイジに語って聞かせた。

「あ、そうだったんだ~」

と、ジェイも一緒に「へ~」とか「うんうん」とか、頷きながら聞いていた。

「あー……で、状況はわかったけど……」

けど……?
口ごもったレイジに、ディーは何やら神妙な眼差しを向けている。

(何この空気……?)

私は何も言えずにジェイを見た。彼もまた、グラスに手を掛けたまま静かにしていた。

「どうしますか?」
「あー、まぁ……どーしよーもねーじゃん? ……俺は何もしない」
「……そうですか……わかりました」

チアキは疲れたのか、猫と一緒になってテーブルの下で寝ちゃってる。

「まー……今日はみんな色々あって疲れただろーし、ゆっくり休んでさ、とりあえずオレはコイツ寝かせてくるしー」

そう言ってレイジは、テーブルの下のチアキを「よっこらせっと」と肩に担ぐと、「じゃ、お疲れー」とあっさりリビングを出て行ってしまった。
レイジの後ろ姿をぽかんと見送った後で、暫くするとディーが「アイは、どうしますか? 今日は休みますか?」と気遣う声を掛けてくれた。
確かに少し休みたい。というよりは、今日の出来事を整理したかった。
チアキという不思議な少年の出現もそうだし、それに対するレイジやディーの反応も気になる。

――何よりユウのこと……。
どうしてこんなにも、彼女を捜したいのか…………。もう少し、自分の気持ちと向き合いたい。

「そうだね、じゃあ私も、今日は休む」

そう言って立ち上がると、私はジェイのいる方に向いて

「ジェイもほどほどにして早く寝なよ」と釘を刺した。
「うん、大丈夫だよ~」

言いながらジェイは早速新しいボトルを開け始めていた。
これ以上は言っても仕方ないと思ったので、わざとらしく大きな溜息を残してやった。

∞ ∞ ∞

なんだろう……。
今夜はなかなか寝付けない。
何故会いたいのかも、よくわからないのに……

ユウのことばかりが、頭を巡っていた――――